「4.24」教育闘争とは?


統一か分断か

祖国解放後、新国家建設を夢見る同胞たちにとって1948年とは、まさに激動の時代であった。全人民の意思を反映した統一国家の建設を目指した朝鮮労働党と、民族の分断をはかり傀儡政権を誕生させようとするアメリカとの攻防戦が熾烈を極めた年であった。

朝鮮人学校閉鎖令

そんな中、統一国家実現を支持する在日同胞たちが邪魔になったGHQは朝鮮民族の心を育てる民族教育を抹殺しようと企てる。そして1月24日、日本政府をして「朝鮮人設立学校の取り扱いについて」という通達、いわゆる「朝鮮人学校閉鎖令」を発令した。

強まる反発。闘う同胞たち

日本政府は閉鎖令を通達するだけではなく全国の朝鮮学校(当時は朝連学院)を強制的に閉鎖へと追い込んだ。しかし弾圧の手が強まるほど、同胞たちは立ち上がり、闘争は激化していった。山口県から始まった学校閉鎖令反対闘争は全国各地へと瞬く間に広がった。

特に兵庫県ではGHQの直接的な指導もあって朝鮮学校の閉鎖を強行しようと県や市当局が躍起になっていた。

4月10日に当時の神戸市長が校舎の使用を禁止すると一方的な通達を発した事から始まり、4月15日には県知事と面会予定だった同胞たちを警官隊が対処するという暴挙まで至っていた。

4月23日、県当局はGHQの命令によって学校閉鎖を強行した。同胞たちは決死の覚悟で闘ったが、神戸市内にある3か所の学校を強制閉鎖した。

だが西神戸の朝鮮学校だけは同胞たちが学校で寝泊まりをしながら最後まで必死に守り抜いた。西神戸地域の同胞たちが今でも西神戸の学校を「4.24の故郷」と呼ぶ理由がここにある。

歴史的な「4.24」

強制閉鎖に憤怒した同胞たちは朝から県庁を訪れ、抗議活動、知事への面会要請を行った。その知らせを聞いた同胞たちが続々と県庁前へと集まり、その数はなんと1万5,000人を超えた。それに恐れをなした県当局は憲兵を出動させて拳銃で脅して解散させようとしたが、ひるむことなく知事室に向かう同胞たちを阻むすべはすでになかった。

そして岸田県知事との面会において粘り強い交渉の結果、ついに学校閉鎖令を撤回させ、歴史的勝利を勝ち取ったのだ。まさに完全勝利の瞬間であった。

非常事態宣言

歴史的勝利の夜、GHQのマッカーサーは神戸市に「非常事態宣言」を宣告する。GHQの支配下に置かれた日本警察は同胞たちを一斉に検挙、そして軍事裁判にまでかけた事実は関東大震災時の「朝鮮人狩り」を彷彿させた。しかし同胞たちはまたもや立ち上がり、最後まで民族教育権を守り抜き、今日までウリハッキョを支え、発展させてきたのだ。


「4.24」教育闘争 資料写真